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追悼・品田雄吉さん……ソフィア・ローレン『ひまわり』

ひまわり表1最終 のコピー

 

昨年の暮れ、12月13日に映画評論家の品田雄吉さんが84歳でお亡くなりになりました。追悼の意を込めまして、Cinefil Imagicaレーベルより2013年にリリースしたソフィア・ローレン主演の『ひまわり』のBlu-rayのために品田さんにご執筆いただいたお原稿をここに再録します。大女優への愛に溢れたこの文章でソフィア・ローレンの足跡を振り返ると共に、素敵な紳士だった品田さんを偲びたいと思います。

 

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グラマー美女から名女優へ   ―ソフィア・ローレンの歩んだ道―  品田 雄吉

 

 

ソフィア・ローレンには、2度、会ったことがある。

 

最初に会ったのは、1976年に彼女が来日したときだ。この年、彼女がリチャード・バートンと共演したイギリス映画『逢いびき』(74)が日本で公開され、彼女はその宣伝キャンペーンで来日した。もうずいぶん昔のことなので、すでに私の記憶はおぼろげだが、たしかそのとき、テレビの午後のワイドショーのような番組に一緒に出た、ということは、はっきりと記憶している。どのチャンネルの番組だったかも、きわめて明瞭に覚えている。

 

当時、ソフィア・ローレンはすでに世界的な大スターとなっていて、イギリス映画に主演するくらい、国際的に活躍するようになっていた。実物の彼女は、大きくて堂々としていた。データをチェックすると、彼女の身長は、5フィート8インチ半、メートルに直すと1メートル74センチになるそうである。しかし、実物のソフィア・ローレンは、少しも派手なところのない、きわめて控えめな物腰だった。私は、その彼女の落ち着いた態度に、ひそかに驚き、感心した。

 

『逢いびき』は、リチャード・バートンとローレンが共演した作品で、言うまでもなく、1946年に作られたデヴィッド・リーン監督の名作『逢びき』のリメークである。いや、正確にはリメークではなく、このリチャード・バートンとソフィア・ローレン版の『逢いびき』は、テレビ映画として製作されたものだった、と言っておかなければならないだろう。しかし、大スターのバートンとローレンが共演しているということから、日本では劇場映画として公開されたのであった。

 

ソフィア・ローレンはグラマー美女ということでよく知られていたが、このとき会った彼女は、性的魅力を誇示するようなところは微塵もなく、しっとりとした感じで、まさに堂々たる淑女、といった印象だった。そして、まったく訛りのない、きちんとした英語をしゃべった。なるほど、どこから見ても非の打ちどころのない国際的な大スターだ、と、私は心中、感嘆した。

 

二度目に会ったのは、ついこの間、と言おうか。2010年である。この年、彼女は、第22回〈高松宮殿下記念世界文化賞〉で演劇・映画部門の受賞者に選ばれて、来日した。私は、この賞の演劇・映画部門の選考委員を第1回からずっと務めている。このときは、明治記念館で行なわれた授賞式でちょっとご挨拶をしただけだったが、何よりも私がひそかに驚いたのは、あの華やかな美貌が、少しも衰えを見せていないことであった。

 

ソフィア・ローレンは、1934年9月20日にイタリアの首都ローマで生まれた。したがって、2010年に東京に来たとき、彼女は70歳をとっくに越えている。それにもかかわらず、あの華やかな美貌は少しの衰えも見せず、むしろひときわ華やかさを増しているようにすら感じられたのだった。とにもかくにも、大柄で、派手やか。どこにいてもいちばん目立つ。世界文化賞の授賞式とそれに続く祝宴は、常陸宮殿下並びに妃殿下を始めとして、さまざまな有名人が正装して出席する華やかな夕べなのだが、そこでもソフィア・ローレンはひときわ目立った。

 

この世界文化賞は、素晴らしい業績を挙げていること、そして現役であることが、賞の対象者の基本条件になる。ソフィア・ローレンは、近年、出演作こそ往時にくらべて少なくなったが、依然、現役として立派に活動を続けている。世界文化賞を贈られたときは、その前年の2009年に、ミュージカル映画の大作『NINE』(2009)に重要な役で出演しており、その成果も受賞の大きな理由になっていたと言える。

 

それにしても、ソフィア・ローレンは、ほとんど映画のように、と言っていいほど、波乱に満ちた人生を過ごしてきた。

 

彼女が1934年9月20日にローマで生まれたとき、建築技師だった父親のリッカルド・シコローネは、ほかの女性と結婚していて子供もいた。つまり、ソフィアの母のロミルダ・ヴィラーニは、未婚のまま、ソフィアを生み、ソフィアの妹マリアを生んだのだった。

 

母は、生まれたばかりのソフィアを故郷のナポリに連れ帰って育てた。音楽学校で学び、舞台にも立ったことがあるという母ロミルダは、時おりソフィアにピアノのレッスンを受けさせたこともあったという。

 

第二次世界大戦後、14歳になったソフィアは、すでに抜群のプロポーションと派手やかな美貌で世間の注目を集めるようになっていた。1950年にナポリで催された〈海の女王コンテスト〉では12人のプリンセスの中の一人に選ばれた。母は、それに触発されたのか、ソフィアを演劇学校に入学させた。

 

やがて母娘はローマに出る。そして同じ年の1950年、マーヴィン・ルロイ監督のアメリカ映画『クオ・ヴァディス』(51)に母と娘ともどもエキストラとして出演する。(ソフィア・ローレンの詳細なフィルモグラフィを調べると、映画出演歴は1950年から始まっていて、『クオ・ヴァディス』は8本目の出演作となっている。)

 

このころ、気鋭の映画プロデューサーだったカルロ・ポンティと出会い、彼とディノ・デ・ラウレンティスが製作した『アンナ』(51)に端役で出演した。

 

このころが、ソフィア・ローレンのもっとも困難な時期だったようである。上半身裸になった出演作もあったというくらいだ。しかし、間もなくポンティと再会、彼が製作した映画に出演するいっぽう、ローマの〈映画実験センター〉で演技を勉強し、芸名をソフィア・ラッザーロからソフィア・ローレンに変える。

 

そして、このころ出た映画が大ヒットし、1954年にポンティは、監督ヴィットリオ・デ・シーカ、主演ソフィア・ローレンで『ナポリの黄金』という作品を製作する。

 

こうして、製作カルロ・ポンティ、主演ソフィア・ローレン、監督ヴィットリオ・デ・シーカという黄金トリオが誕生する。それがやがて、1970年の名作『ひまわり』を生み出すことになるのである。

 

ごく自然な成り行き、とでも言ったらいいのだろうか、カルロ・ポンティとソフィア・ローレンは私生活でも結ばれる。だが、ポンティにはすでに妻がいて、カソリックのイタリアでは離婚が認められない。ポンティとローレンが正式に結婚できるのは、それからずっと後のことである。その困難な成り行きをたどるだけでも一編の長大なノンフィクション・ストーリーができるほどだ。

 

ヴィットリオ・デ・シーカ監督は、第二次世界大戦前、二枚目スターとして人気を誇っていた。彼が監督になったのは、第二次世界大戦が終わり、敗戦の混乱の中から厳しいイタリアの現実を描いた映画が次々に生み出されるようになってからのことだ。

 

第二次大戦後のイタリアで、戦争の悲惨や、戦後の混乱や貧困などをリアルに描いた秀作が次々に生まれる。それは、映画ファンだけでなく、もっと広く、世界中の人々に大きな衝撃を与え、それらの映画作品をまとめて、〈イタリアン・リアリズム〉(イタリア語では〈ネオレアリスモ〉)と総称されるにいたった。そして、その流れの代表的な監督として、ロベルト・ロッセリーニなどと並んで、ヴィットリオ・デ・シーカも世界の注目を浴びる存在となったのだ。

 

デ・シーカ監督は、イタリアン・リアリズムの潮流が終息した後、ソフィア・ローレン主演で『ふたりの女』(60)を監督、戦争の悲惨を沈痛なタッチで描いた。ローレンはこの作品の演技によって、カンヌ国際映画祭最優秀女優賞を贈られた。

 

『ひまわり』は、まさに言ってみれば、ヴィットリオ・デ・シーカ、マルチェロ・マストロヤンニ、そしてソフィア・ローレンの、長い映画キャリアの集大成といっていい歴史的な名作だと思う。

 

導入部の、マストロヤンニが兵役に召集される前、そのあわただしく滑稽な新婚生活を描いた部分には、デ・シーカ、マストロヤンニ、そしてローレンの三つの才能が築き上げてきた人間喜劇の巧みな見本が見られる。そしてそれは、後段にいたって沈痛に描かれる〈戦争がもたらした人間の悲劇〉へと集約されて行くのである。

 

あらためて、ヴィットリオ・デ・シーカ、マルチェロ・マストロヤンニ、ソフィア・ローレンという素晴らしい才能のトリオが織りなす深い人間ドラマを、この『ひまわり』という名作でじっくりと味わい、噛みしめてみたいものだと思う。

 

実は、わたしはこの冬2月に、〈ゆうばり国際ファンタスティック映画祭〉でスペシャル・イベントとして『ひまわり』を上映したときに、解説の仕事を依頼された。

 

そしてそのときも思ったことだが、この『ひまわり』という映画に映像として捉えられた、あの無限の広さを感じさせるひまわり畑は、人間の悲しみの底知れぬ深さを指し示しているのではないだろうか。

 

そう思うと、あのソフィア・ローレンの堂々たる身体も、喜怒哀楽こもごもを湛えた人生の深い器であるかのように思われてくるのである。

 

『ひまわり』という名作は、どうやら、ヴィットリオ・デ・シーカでもなく、またマルチェロ・マストロヤンニでもなく、まさしくソフィア・ローレンの生んだ〈ドラマ〉として、私たちの心の中に生き続けて行くのではないだろうか……。この名作を見るたびに、私は、そのような思いを深くしていくのである。

 

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以上が品田さんの原稿でした。余談になりますが、文中に出てくる2010年の第22回〈高松宮殿下記念世界文化賞〉で来日したソフィア・ローレンの記者会見に、僕も参加し、その時に、こんな質問をしました。

 

「あなたの出演作で、日本でなんと言っても一番人気があるのは『ひまわり』なんですが、この映画は他の国ではあまり高い評価を得られていませんね。そのことについてどう思われますか?」

 

答はさすが大女優。

 

「だから日本人は趣味がいいってことなのよ」

 

 

 

*『ひまわり』は下記のサイトでご覧になれるほか、Blu-ray、DVDも発売されています。


ひまわり
I GIRASOLI

1970年 イタリア = フランス合作
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
出演:ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、リュドミラ・サヴェリーエヴァ

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