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荒野の「復習」……『荒野の復讐』

1964年にイタリアで制作された黒澤明の時代劇、『用心棒』(1961)の西部劇変換コンテンツは、その優れたアレンジにより、瞬く間に世界中へと拡散したのだった。そのヨーロッパ製西部劇『荒野の用心棒』は翌年の昭和40年(1965年)に日本でも公開されて、淀川長治と深沢哲也の両名により“マカロニウエスタン”と命名される。つまり、2014年は「『荒野の用心棒』製作50周年」、2015年は日本における「“マカロニウエスタン”生誕50周年”」というわけだ。ちなみに、欧米で“マカロニウエスタン”は、“spaghetti western”と呼称されている。

 

ヨーロッパ西部劇(公開された欧州製西部劇は、必ずしも全てがイタリア製とは限らない。スペイン製もフランス製もドイツ製もイギリス製も存在した。さらには各国合作の西部劇も数多く作られた)の爆発的ブームの火付け役、『荒野の用心棒』のプロットはこんな感じだ。

 

「対立する二つの勢力(アメリカ人のやくざ一家とメキシコ人のやくざ一家)が拮抗し合う辺境の町に、ふらりと現われた独りの流れ者。腕が立ち、頭も切れる彼は、互いの勢力の間で立ち回り、パワーバランスを崩してそれぞれを全滅させ、颯爽と去ってゆく」……このプロット自体は『荒野の用心棒』のテキストとなった『用心棒』、さらに遡ると、ダシ―ル・ハメットが1929年に発表したハードボイルド小説、『血の収穫』にたどり着く。そういう意味で、『用心棒』をリメイクしたウォルター・ヒルの『ラストマン・スタンディング』(1996)は、舞台設定からすると先祖返りに近い。

 

『荒野の用心棒』の世界的なヒットは、イタリア及びスペインで多くの亜流作品、劣化コピーを産ませ続けた。その量産第一号が、セルジオ・コルブッチの『続 荒野の用心棒』(1966)だ。対立する勢力(人種差別主義者のファシスト一味と、メキシコ革命軍)が拮抗し合う国境近くの町、流れ者で孤高の主人公ジャンゴ、二大勢力を牽制し合って全滅に追い込み、去って行く…プロットばかりではなく、マシンガンによる皆殺し場面、決して正義の味方ではなく、金の亡者で銃の腕前のみを信用しているニヒリストの主人公、登場人物の殆どが天に召される黙示録的世界観……共通点は数多い。

 

しかし、コルブッチはプロットを借りただけで、そこにイタリア人独自の感性で異様な状況設定を盛り込んだ。『用心棒』を“ハリウッド製正統派西部劇風”にアレンジしたセルジオ・レオーネとは、圧倒的に異なる作品を産み出したのである。ここに、“マカロニウエスタン”のアイデンティティが確立された。模倣ばかりでない、個性あるジャンルとしての“マカロニウエスタン”が誕生したのである。

 

『荒野の用心棒』を設計図として作られた量産第一号である『続 荒野の用心棒』もまた、世界的に大ヒットした。その後は御存じのとおり、雨後の筍どころではない、筍のコルホーズ的大生産体制が確立され、イタリア人は二兎どころか、二十兎くらいを追って、五兎くらいを得ることに成功したのである。

 

その、『血の収穫』から端を発した『用心棒』をコピーした『荒野の用心棒』をアレンジした『続 荒野の用心棒』に並ぶ、『荒野の用心棒』習作群のひとつが、ヴァンス・ルイスが1966年に監督した『暁の用心棒』である。「対立する二つの勢力(アメリカ合衆国騎兵隊とメキシコ人山賊一味)が拮抗し合う辺境の町に、ふらりと現われた独りの流れ者。腕が立ち、頭も切れる彼は、互いの勢力の間で立ち回り、パワーバランスを崩してそれぞれを全滅させ、颯爽と去ってゆく」……プロットはまったく一緒だ。

 

しかし、この作品は単なる『荒野の用心棒』の劣化コピーには終わらなかった。些末な点ばかりではあるが、低予算なりの工夫を施していたのである。その注目すべき、痒いところに手が届く変更点は下記の通りだ。

 

1.『荒野の用心棒』『続 荒野の用心棒』では映画用プロップであるインチキマシンガンを登場させていましたが、『暁の用心棒』では実物の重機関銃(オーストリア製シュワルツローゼM07/12)を登場させました。

2.『用心棒』における短銃VS包丁、『荒野の用心棒』におけるコルト対ウインチェスターは、『暁の用心棒』ではショットガン対マシンガンにアレンジしてみました。

3.女の悪役をよりセクシーにして、ヒロインはより寡黙に(一言も喋らない)、主人公の台詞もイーストウッドの『荒野の用心棒』の総台詞量の半分に収めてみました。

4.『荒野の用心棒』の主人公はポンチョを、『続 荒野の用心棒』の主人公はインバネスコートを羽織っていましたが、『暁の用心棒』の主人公にはサラッペ(メキシコの民族衣装である、厚手の生地で織った長い布)を着せてみました。

 

読んで気付かれた方も多いと思うが、『暁の用心棒』は、『荒野の用心棒』のほぼパクリと思って良い。その主人公“よそ者”を演じたトニー・アンソニーは、やまっ気のある人物で、それなりに稼いだ『暁の用心棒』のさらなる量産体制に着手する。『血の収穫』のコピーである『用心棒』のコピーである『荒野の用心棒』のコピー品増産というわけだ。

 

しかし、そこはアイデアマンであるトニー・アンソニーのおかげで、いずれの作品も劣化コピーにはしていない。その度に創意工夫が施されてある。例えば、主人公の持つ銃器は作品を追うごとに装弾数が増えている……あまり劣化コピーではないことの証明にならなかったので、さらに突っ込んで創意工夫点を掲げてみる。

 

『続・暁の用心棒/ストレンジャー・リターンズ』(1967・未公開):『暁の用心棒』の続編だが、『暁の用心棒』の主人公が愛用していた水平二連の散弾銃は、この作品では四連銃身の散弾銃に変わる。

 

『新・暁の用心棒/サイレント・ストレンジャー』(1968・未公開):『暁の用心棒』の主人公が日本に流れ着き、やくざ一家と侍一家の間を立ち回り、悪い連中は全滅させて、颯爽と去って行きます(何処へ?)。京都太秦ロケを敢行したにも関わらず、未公開の珍品。

 

『盲目ガンマン』(1971):プロットは安定の「対立する二つの勢力(メキシコ政府軍とメキシコ山賊一味)で立ちまわる一匹狼」ですが、主人公の目を不自由にさせて(有能な盲導馬が相棒です)、悪役にビートルズのリンゴ・スターを添えてみました。裸のお姉さん方も大量に登場します。

 

そして、この『荒野の復讐』(1981・未公開)だ。位置的に本作は、『血の収穫』のコピーである『用心棒』のコピーである『荒野の用心棒』のコピー量産品の1作である『盲目ガンマン』のコピーに近い。復習は大切なので、ここでも劣化コピーに陥ってない本作ならではの特色を掲げてみよう。

 

1.それまでの主人公が愛用した武器である散弾銃が、連発式の最新型に変わりました(ポンプ・アクションのリピーター・ショットガン)

2.ヒロインはより激しく乱暴され、裸にされ、縛られたり痛めつけるようにして、男性客を取り込むようにしました(ヒロインを演じるのは、ペドロ・アルモドバルお気に入り女優のビクトリア・アブリル。当時は新人。可愛いです)

3.裸の女の人数を『盲目ガンマン』の時よりも増量いたしました。

4.3Dで制作しました。

 

何と。驚いたことに、本作は立体画像を売り物にした、マカロニウエスタン唯一の3D映画なのである。放送された作品をご覧になる際は、画面から適切な距離を保ち、裸眼立体視の交差方の要領で、画面中央のふたつの黒点が重なるような感じで観て下さい。

(嘘です。専用のメガネと当時の3D用に加工された原版が必要です。今回は2D用のマスターとなっています)

 

これはやはり、トニー・アンソニー自身のヤマッ気たっぷりの性格が要求した、新仕様だと思う。深い意味はないだろう。「マカロニウエスタンで3Dって見たことないから、作ってやれ」くらいの。高校生の時だったか、親に「アンディ・ウォーホールの実験映画観てくる」と嘘ついて『悪魔のはらわた』観たのが最初の3D映画との出会いだったと思うが、この頃の立体映画は、赤と青のフィルター(マリー・ラフォレっぽい。サントロペ~♪)を使った立体映画専用のメガネを着用の上、鑑賞に臨んだのである。

 

本作は公開されておらず、VHD(※注:死語。同じく死語の「LD」の対抗製品として作られた、映像記録媒体。外骨格をまとった重厚な仕様。DVDと比べると質量が桁違いの、重機動メカ的ディスクとして知られる)として商品化された。その時に立体視用の赤と青のメガネが付属していたかどうかは定かではないが、本作が海外でDVD化された時の評判は大変悪いものであった。目に非常に優しくないのだ。鑑賞したマカロニウエスタン・ファンからは、「目がちかちかする」「頭が痛くなった」「頭が悪くなった」…などの苦情を聞いた覚えがある。

 

演出スタイルは『悪魔のはらわた』同様、とりあえず尖ったもの、怖いもの、不気味なものは観客の目の前に突き出すやり方で、親切なことにエンディング・タイトルでその3D効果を狙ったダイジェストシーンを観ることが出来る。続けざまに蝙蝠や槍、ナイフ、銃、弓矢が、効果音と共に目の前に飛び出してくるのだ。

 

ストーリー自体は他の“ストレンジャー”シリーズと大差なく、『盲目ガンマン』を頂点とすると、『暁の用心棒』の下の下辺り。決して斬新な話ではなく、主役であるトニー・アンソニーの魅力も乏しい。何故かと言うと、珍しく彼は、「カッコつけている」のである。

 

『暁の用心棒』の衣装合わせの際、トニー・アンソニーは衣装のあまりの汚さに辟易したとインタビューで答えているが、このシリーズは全て同じ衣装。姉妹編『盲目ガンマン』はさらに奇抜なデザインの、薄汚いヒッピー然とした身のこなしをしている(無法者に「ピース!」と呼びかけたりもする)。いずれの作品も髭は伸ばし放題。背が低いにも関わらず猫背で、動き回る時もこそこそと物陰を移動することが多い。

 

それがだよ、『荒野の復讐』のハートさんは、東部出身みたいなこざっぱりとした出で立ちで髭も剃り、いつものトレードマークのにやにやとした“チェシャ猫笑い”は健在なものだから、いつも以上に胡散臭い。想像するに、スペイン出身の新人女優のあまりの可愛さに、自分自身を実物よりもカッコ良く見せようとしたのではないか? きりりとしたスーツを着て、スライド・アクション・リピーターの散弾銃をばこばこ撃てば、違うシチュエーションで主演女優とばこばこリピート出来ると考えたのではないか?(下品ですまんね)

 

本来、小柄で貧相な彼が根性を発揮して、強大な敵を殲滅するのが“ストレンジャー”シリーズの最大の売りだったのに、これはトニトニさんに裏切られた思いだ。いつもだったら物語が終わる際、観客はおおいにカタルシスを得て劇場を出ることが出来ただろうに、ビクトリア・アブリルとの共演ジェラシーが邪魔をして、何か違うんじゃん…と立体メガネを外して席を立つわけだ。この点が、本作のマイナス・ポイントだと、私は指摘したい。

 


荒野の復讐
COMIN'AT YA

1981年 イタリア = アメリカ = スペイン合作
監督:フェルディナンド・バルディ
出演:トニー・アンソニー 、ジーン・クインターノ、ビクトリア・アブリル

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